久留米大学デジタルアーカイブとは

久留米大学デジタルアーカイブは、「久留米大学法学部創立25周年記念事業」として、
筑後地域の文化育成に貢献するために、公益財団法人図書館振興財団の平成25年度助成のもとで構築されました。
筑後地域唯一の総合大学として、地域の文化資源を発掘・収集し、原資料を保存庫でまもりつつ、 デジタル化された資料をインターネット上でひろく公開します。

このような活動を通じて、新たな地域財産をつくりだし、
地域に関する文化・学術活動の発展に寄与することを目指しています。

1.本棚に陳列されたデジタル資料

タブレット端末の利用にも対応した視角的、直観的な操作性を実現した
資料閲覧システムです。本棚表示、リスト表示と見やすい方法で閲覧できます。
(iPad、Andoroidその他の端末でも閲覧可能。)

2.簡単に資料を見つけられる検索機能

アーカイブ全体の資料データベースからの全検索はもちろん、各カテゴリーごとのアーカイブ資料からの検索もできます。

キーワード検索、全文検索機能が利用できます。
さらに詳細検索では資料のタイトル、著作者名、発行年月日での絞り込み検索も可能です。(一部、利用できないデータもあります。)

年代別、発行番号などによるデータ抽出、並び換え機能が利用できます。

3.データ機能連携について

国立国会図書館(NDL)や国立情報学研究所(JAIRO, 学術機関リポジトリデータベース)といった主要ポータルサイトと連携しています。 国立国会図書館で検索しますと、すべての久留米大学デジタルアーカイブが検索できます。
また学術機関リポジトリと連携することで、 世界中の大学・研究機関とつながることができます。

久留米大学御井図書館貴重資料企画展 図録
『西南戦争—報道と、その広がり』

本デジタルアーカイブは、2014年、久留米大学御井図書館「筑後文化資料室」のコレクションを中心に展示された企画展 「西南戦争―報道と、その広がり」の図録をデジタル化したものです。企画展「西南戦争」は、戦況が「錦絵」によって いかに報道され、当時の文化にどのような影響をおよぼしたのかについて着目し、西南戦争とその時代を新しい角度から見せた展示です。 本図録のデジタル化を含めた以上のような活動は、地域社会への貢献を目指す久留米大学文学部によるものです。






久留米大学法学部の創設25周年記念事業、
岡本文庫『風雪』のデジタルアーカイブ

『風雪』は、1964(昭和39)年7月から1976(昭和51)年12月まで、毎月1回ずつ刊行されました。 大正から昭和戦前期にかけて福岡・佐賀・筑後の社会運動を指導した鳥居重樹(1897?1976) が中心となり、これらの労働運動や農民運動などの正確な記録を残すために刊行されたものです。 1920(大正9)年の八幡争議をはじめ、多くの運動や争議にかかわった当事者たちに取材し、その貴重な 詳言や回想を広くあつめて収録しています。
『風雪』は、これまでも社会運動史の研究者の間ではその史料的価値を高く評価され、知る人ぞ知る存在でした。 しかし、今日ではほとんどが散逸しており、完全なコレクションの所蔵は確認されていないのみならず、部分的にで あっても正式に公開した機関はありません。
さいわい、本学法学部に勤務された故岡本宏名誉教授によって寄贈された、久留米大学御井図書館「岡本宏文庫」の未整理資料中に、 これまでで最も完全に近いコレクションがおさめられていることが明らかとなり、「久留米大学法学部創立25周年記念事業」によって インターネットでの公開が可能となったものです。
この公開を機に、筑後地域の近現代史に興味をもつ多くの方々に、この資料を役立てていただけることを願っています。

  1. 第3号から第144号までの久留米大学所蔵の紙面情報のすべてが閲覧できます。
  2. 必要な資料は、PDFデータとしてダウンロード、プリントが可能です。
    (ただし利用方法によっては制限がございます。詳しくはこちらをご覧ください。 リンク)
  3. 各紙面の主要な項目と内容での各号検索が可能です。
鳥居重樹略伝(『風雪』第140号、1976年5月20日による。他の典拠文献は文末に掲載。)
1897年7月8日、熊本県上益城郡甲佐町豊内に、医師鳥居喜斉(文献②によれば春斉)、すま夫妻の長男として出生。
1910年、済々黌中学に入学。1914年頃退学し、朝鮮、満州を放浪。満鉄に勤務。
1918年7月、八幡製鉄所入所。1919年11月、浅原健三、西田健太郎らによって結成された日本労友会に入会。
1920年2月、八幡製鉄所争議では第3隊の指揮をとり、治安維持法違反で懲役3ヶ月。
1921年上京し、堺利彦、山川均らと会う。
1923年5月、北九州機械鉄工組合(後の日本総同盟九州連合会)を結成。 会長浅原健三、鳥居重樹主事。旭硝子、明治紡績、浅野セメント、三池炭坑などの争議を指導。佐野学の勧誘により日本共産党に入党。
1925年4月、乞われて鳥栖に赴き、日農佐賀県連合会顧問(文献③によれば、常任委員)となり、基山争議、山門郡争議を指導。基山、高柳に消費組合設立。
1926年、日農、労農党中央委員。(文献①によれば、26年労働農民等中央委員、27年日本農民組合中央委員)労働・農民・水平社運動を総合した機関誌『西部戦線』を発行。
1928年2月、第1回普通選挙。福岡3区から徳田球一を擁立しようとする共産党系グループに対し、重松愛三郎を擁立し、共産党と対立(重松は落選)。 3・15事件被告救援を指導。
8月、全国農民組合福佐連合会常任執行委員。
1935年12月、久留米に定住。社会大衆党久留米支部の設立を指導。
日本ゴム、月星化成等の労組を育成指導。第二次大戦後は社会党福岡県執行委員。久留米支部書記長。荒木農民組合や三潴、山門郡の農民組合を指導。
1955年、福岡県議に立候補するも落選。1964年10月、『風雪』を発刊し、編集長となる。
1975年11月、解放運動戦士の碑除幕。その後病に伏す(第137号、1976年2月20日)。
鳥居編集長の病気に伴って編集体制を再編し、宮崎栄、島新治が参加。
1976年4月15日、花畑病院に入院。27日、花畑病院にて死去。78歳。5月15日、正源寺にて風雪葬(第140号)。
①『近代日本社会運動史人物大事典』日外アソシエーツ、1997年
②塩田庄兵衛編『日本社会運動人名辞典』(青木書店、1979年)
③『久留米市史』第3巻、1985年

資料提供者・協力一覧
[著作権者] 伊東博巳 様/鳥居奠 様
[協力] 公益財団法人図書館振興財団/久留米市/鳥栖市
[データ提供] 久留米大学

西南戦争

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